シン・エヴァンゲリオン感想

シン・エヴァンゲリオンを見てきたので感想など。感想なので何の根拠もないけど、多分こうだったんじゃないかと思ったことを書いた。見当違いかもしれないけれど。

 

ネタバレとか嫌な人はお帰りを。

 

この文章は、結論として

・シン・エヴァンゲリオンは「ちゃんとエヴァンゲリオンを終わらせるための話」だと解釈した。

・代償は支払ったが、目的は達成されたので良かった。

ということを言いたい2,615文字の文章。

 

いきなり話はそれるが、エヴァに対する温度感が似たような友人がいる。

2人とも

・テレビ版放送当時のシンジ君より年下で、リアルタイムでは見ておらず(そもそも田舎でテレビ東京も系列局も映らないけどそれはそれ)レンタルビデオ(VHS)でテレビ版から旧劇場版まで数日間で一気見したが、何回も繰り返して見たわけではない。

 ・貞本エヴァは全部読んだ。

・新劇場版は全部見ているが、今回のために見返したりはしていない。

という程度で、細かい知識やら庵野がどーだからどうしたみたいな話はちんぷんかんぷん。

 

こんなご時世だけどそんな友人と見てきた。2人が見終わったときに口をそろえて言っていたのが

・とりあえずちゃんと終わってよかった。大団円だからという意味でなく、みんなやりきった。

・説明が恐ろしく親切丁寧だった。

・総じて良かったけれど、シンジ君急激に大人になりすぎではないか。

という3点。

そのあと色々と出てきたりはしたものの、帰ってきてから頭の中でガンガン歌い続ける宇多田ヒカル(EDすごい好き。アルバムを買ってしまった)をBGMにつらつら考えていたところ、何気にこの3点はこの映画において大事なことだったんではないかと思いこれを書いている。

 

まず、この映画は恐ろしく親切丁寧だった。

最初に今までのおさらいがあったこともそうなら、シンジ君が家出から戻ってきたときのアスカの反応、きっちり長いこと描かれた村パート、アスカがシンジを殴ろうとした理由の説明などなど今までのエヴァならこんな親切丁寧にやらなかっただろうことをすごく丁寧にやっていた。

 

これは、ちゃんと話を終わらせようという意図のあらわれだと解釈している。

ちゃんと話を終わらせるということは、決して当たり前ではなくとても大切なことだというのはスターウォーズEp.9が教えてくれている。

それはともかく、ちゃんと丁寧に話を終わらせるためには、各キャラクターがどこからきてどこへ行くのかもきっちり描かなければいけないし、経過も丁寧でなければいけない。

エヴァで丁寧に話を展開しようと思うと、問題になるのがエヴァが少年少女の話であるということである。

少年漫画では本気の大人が少年に簡単に負けてしまうことがよくあるけれど、本当に丁寧に話を書こうとすると、本気の大人はそうそう少年に負けたりしないし、大人はいったい何をやっていたのかねというところを回避して世界の命運は少年少女次第でございますという話をちゃんとやるのはとても難しかったと思う。

それを回避するためかどうかはわからないが、シンジ君はガッツリ大人になってしまった。

つまりエヴァンゲリオンなのに少年少女の話であることをとっぱずしてしまった。代償といったのはここのところ。

そもそもなんでガチの軍人ではなく少年少女がエヴァンゲリオンに乗って戦わなきゃいけないかというと、エヴァ本体が母親でうまくシンクロするためにはA10神経の働きが活発な思春期じゃないとダメという前提があったはずなのだが、そこをぶっ飛ばしてしまった。あるいは、精神的には大人でも肉体的には思春期のまるでコナン君みたいな話でぎりぎりセーフなのかもしれないが。

 

この辺りはバカガキと罵るアスカや、いろんな人が大人になったと連呼するあたり意図的なのだと思う。

とにもかくにも、大人と対等に向かい合えるシンジ君になったことで、大人も本気を出せるようになり、各キャラクターも過去と違和感ない形できっちりと整理され、話が「ちゃんと」終わった。

なので、私はすごくよかったと思っている。

いきなりゲンドウが陥落してしまったのはちょっとどうかと思ったが、綾波型No.6があんなことになったのをシンジ君が乗り越えた段階で、精神的にはゲンドウを超えており、そういう出来事があったことをゲンドウも知っているのでその辺は仕方なかったのやもしれぬ。

 

 

ただ、十年以上の月日がきちんと流れていたアスカやマリ、昔の友人たちはともかく、シンジ君が急にみんなに追いついてしまったので、そこにすごく違和感が残っている。描かれ方こそ長かったけどそこまで長い期間が経過したとは思えないのに、綾波型No.6とある程度話して、大人になった昔の友人たちと一緒にいたらあんなに急に大人になり、鋼のメンタルが持てるものなのだろうか。そこにできるだけ納得感を持たせるために村パートが長かったのだとは思うけれど。

 

あと、シンジ君を大人にする手法は、例えば旧劇でこれをやられたらちょっと納得感がなかったと思う。見る側が大人になっているので許せるところはあると思う。これを、流れた月日に甘えたととるか、流れた月日と見る側の認識も踏まえて作ったとみるかは人それぞれだろうけど。

 

書きたいことは大体書いたので、印象に残っているこまごましたことを少し書く。

 

<印象に残っていること>

綾波型No.6は全然モノを知らないような顔をしていたが、ちゃんと概念を特定して「これ何?」と聞いており、実はお前わかっているだろう感があった。

・私は第三新東京市のビルがにょきにょき生えるのが好きなんだけど、そんな感じの描写もちゃんとあってよかった。

・戦闘シーンはややごちゃごちゃしていたものの、派手でよかった。
・だけど何だろう。銃だとあまり説得力がないんだけど、エッフェル塔があそこまで頑丈なのもそれはそれで違和感が。ただの我儘。

・シンジ君、最後どうやって帰ってきたんだろう。いくらマリが来たとはいえ、すべてのエヴァは消えてしまい、あのわけのわからないところから帰ってくる手段があるんだろうか。あるならマリは別に要らなかったのでは…?この辺は理解力不足かもしれない。

・私と同じく子供あまり好きじゃない族の友人がボソッと「俺今度子供生まれるんだけどさ。俺完全にゲンドウ寄りなんだよな。何なら子供のためには自分なんかいないほうがいいっていうか…」と言っていたのがよかった。

 

そんなところです。